2006年 06月 06日
涼宮ハルヒの憂鬱 第10話 「涼宮ハルヒの憂鬱4」 続き
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「健康な若い女なんだし、身体を持て余したりもする」という、キョンとの会話の中でハルヒの口から唐突に飛び出した言葉の羅列。二通りの受け取り方があると考えられますが、問題なのは、この台詞が制作側のミスリードだとは考えにくい事です。キョンがありえないほど冷静に流しているので、一見すると正常な意味と取れない事もないのですが、それこそがミスリードであるように思えてならないのです。つまりこの場合は、不健全な意味でのそれだったと考えるのが妥当でしょう。
作中において変人と揶揄されているとはいえ、ある程度はハルヒというキャラクターを理解しているつもりでいました。が、しかし、まだまだ甘かったようです。
閑話休題。
思い返してみれば、朝倉さんはキョンの事を、あだ名でさえ指して呼んだ事はありませんでした。正体を表し、相対する段になっても、彼の質問へ答えようという意思を見せる事はありません。「これから殺す相手だから」という合理的な理由によるものではなく、恐らくは最初から、朝倉さんはキョンの事を、状況を構成する一因子としてしか認識していなかったのでしょう。
彼女にとって真に重要なのは、観察対象である涼宮ハルヒただ一人であり、それはメインである長門さんにとっても同じ事です。しかしながら、一般的な高校生以上に社交性豊かに見える朝倉さんが、その実クラスメイトの一人を道端の石ころ程度にしか認識していなかったのに対し、一見すると徹底的なまでに寡黙で、他人に興味が無さそうにすら見える長門さんが、任務のためとはいえ、身を挺してまでキョンを守るに至ったというのは、どこか皮肉な話に思えます。
狂気に身を浸した人間と相対した時、正常な人間が抱く感情は、同情でも哀れみでもなく、「恐怖」であると思われます。
“狂気”の何が恐ろしいのかと言えば、一重に「何を考えているのか理解できない」という点に尽きるでしょう。客観的に見て正常な精神を有している者が、その持ち得る常識で量り得ない、特異な思考を持つ人物と相対した時、心中に生じる感情は、まさしく「怪物」を眼前にした者が抱く、恐怖そのものなのです。
朝倉さんの取った行動は、彼女の立場を知る者からすれば、理に適い納得のいくものだったと言う事ができるでしょう。実際、目的に至るまでの過程の選択が異なったというだけで、彼女はその“操り主”である統合思念体から生じた意思の一つへ従ったに過ぎません。
ですが、襲われる事になったキョンの立場からすれば、笑顔を絶やさず冷静に冷徹に自分を殺そうとする朝倉涼子の存在は、まさしく狂気の具現そのものだったでしょう。
さて、「情報連結」や「情報結合」という言葉は、メインである長門さんと、バックアップである朝倉さんが、互いの機能的な面での高効率化を求めて行う分散コンピューティングのようなものを指しているものと当初は考えたのですが、どうやらまったく違っていたようです。
「当該対象の有機情報連結を解除」という長門さんの言葉と、その前後に取った行動から見て、意訳すると「粉々にしてやる」といったような、宣戦布告そのものであったと思われます。
長門さんが幾本もの槍から串刺しにされた際、そのうちの一本だけを抜き取ったのは、如何に長門さんがタフだとはいえ、心臓を貫かれたままという状態が捨て置けるものではなかった事を示していると思われます。弱点というほどのものではなさそうですが、仕掛けたトラップのために攻性情報を使い切っていたあの段階においては、放置できるほど軽いものでもなかったのでしょう。
といったところで、考察はおしまいです。
今回は、二度に分けるという今までにはなかった書き方から見てご推察いただけるかと思いますが、私にとって非常に内容の濃い回でした。触れたい事、書きたい事が、たくさんあり過ぎです。
そしてその分、非常に楽しませてもらいました。
前回の「サムデイ イン ザ レイン」は、言うなれば奇をてらった面白さであり、それを理解した人、理解しようと思えた人にとっては率直に面白い回となり得たと思われますが、そうでなかった人々にとっては、割と退屈な回だったのではないかと思います。
今回は、それとはまったく異なる方向性での面白さ、言うなれば、アニメが本来持ち得る面白さを、ごくストレートに、徹底的に追求したように見受けられます。
私が好きなのは後者です。しかし、同じ作品内でこうも趣向の異なる回が存在するという事自体が、とても面白いとも思うのです。
残すところはあと4話となりました。他のBlogさまの情報などを見るに、これから山場へと入っていき、「憂鬱」を描き切ったあたりで、幾つかのエピソードを残して終わりを告げるものと考えられているようです。或いはもう1クールの追加の可能性も予言されていますが、逆に否定する意見も存在するため、一概に期待する事はできません。どちらにしろ、そう遠くないうちに区切りを迎える事は間違いなく、その時が待ち遠しいようなそうでないような、アニメや漫画の終わりが見えてきた時特有の不思議な感覚を味わいつつ、次回を待ちたいと思います。
by kidar
| 2006-06-06 02:40
| 涼宮ハルヒの憂鬱